こじらせ美容ログ

美容を通して自己肯定感をあげるための記録

彼氏の私服はダサくても良いし、好きな人のための自分磨きでもいい

こんにちゃぁ、しぐのです。

たまたま見つけたブログの中で引用されてた書籍の一文からいろいろ思いを馳せずにいられなくて。この文章になんだか救われたなぁ、と思うところがあったのでこんな記事をかいてます。まずはその引用文がこちら。

男性にとっても、妻や恋人など、隣にいる女性が明るい色の服を着ているのはとても重要です。暗い色の服を着ている女性は男性の運気を食いつぶすと言われているからです。

では、男性自身はどんな服装をしたらいいのでしょう?

実は、男性は何色でも構いません。その理由は、自分が考えるに、男性は「ただの容れ物」だからです。飲み物で例えれば、男性がコップで女性がその中身です。同じコップでも、その中に麦茶をいれるか、ドンペリをいれるかで価値が変わってきます。

昔、働いていたカラオケボックスによく来てくれる人がいました。その方が最初に来たときはあまりにも汚いホームレスのような格好でした。ところが、あとから来られたその方の奥さんは、たいへん綺麗な格好をされていたのです。それで一気に「この人ただものじゃないな」と強い印象を持ちました。のちのち仲良くなって話をするようになってわかったのですが、その方は九州でも有数の大きな会社の社長さんでした。そこで僕は尋ねました。「社長、奥さんはいつもすごくきれいな格好をしているのに、なんで社長はいつもそんなに汚い格好をするんですか?」そうしたら社長はわっはっはと豪快に笑い、「おまえはまだ若いね」と言いました。「最初俺を見た時ホームレスと思ったやろ」「正直思いました」「けど俺の嫁を見た時、ちょっとただもんじゃないと思ったやろ」「そうです。思いました」社長が言うには、自分がどれだけぼろぼろの格好をしていても、横にいる女性にきれいな格好をさせていたら、男の価値はそれだけで自然と上がるというのです。「たとえ俺が上下100万円するアルマーニのスーツを着ても、横を歩く奥さんが汚い格好をしていたら俺の価値は下がる。だけどその逆なら俺の価値は上がる。だから俺が着飾る必要はないけど、『お前がきれいにしとかないと、俺の顔がたたん。』といって、どれだけ金がないときでも奥さんにはきれいな格好をしろって言ってたよ。」

出典はこちらの記事です。

chiaki24.hatenablog.com

「彼氏の私服がダサい」問題に私なりの終止符

この引用文ではちょっとレベルの高い話してますけど、もっと一般人の感覚で考えても当てはまるのかな、と思う。どんだけお金かけてるかってのは置いといて、要は「男の人がどんな格好してても、隣にいる女の人がどれだけ手をかけてキレイにしてるかで男の方に対する印象が変わる」って話よね。

「見た目で人の価値を推し量るってどうなの」って議論も聞こえてきそうですけど、それはここでは触れないでおきます。あくまで印象の話ね。

で、この引用文の論調でいくと、男の人に無理にオシャレを強要するのは無意味!その分女がキレイにしておくことの方が意味があるって言ってるよね。

「相手の私服がダサくて恥ずかしい」ってのは若いカップルの割とオーソドックスな悩みの種の1つかもしれない。自意識過剰で周りからどう見られているかが気になってしょうがないお年頃のうちはこんな悩みに振り回される人も多いんじゃなかろうか。私もそうでありました。

旦那(仮)はファッションには無頓着で全然着飾ることがないんですよね。20代前半くらいまでは、それをあまつさえ恥ずかしいと思ってたんです。自分の好みの服を押し付けて無理やり着てもらってたりしてたんだから、傲慢の極みである。

「彼氏の私服がダサくて、同棲はじめてすぐ勝手に全部捨てた。そして私の好みの服と入れ替えた」っていう強硬手段に出た猛者の話を耳にしたことがありますが、私はそこまでしなかったにしても、あわよくば私もそうしてしまいたいという気持ちに駆られたことは事実です。(懺悔)

旦那(仮)にオシャレをしてもらおうと、過去幾度となくチャレンジしてきましたが、もちろん失敗に終わっていて、どっかもやもやしながら諦めてたんですね。

 でも、この記事を読んで、それまでのもやもやがぽろっと落ちて晴れ晴れと諦めがついたというか。

旦那(仮)にオシャレを押し付けるのは無意味。その分自分がキレイになろう!と前向きになれた。ダサい旦那(仮)を恥ずかしいと思ってたけど、自分はやっすい服で満足して、私には好きな服買いなよとか言ってくれるんだから、旦那(仮)の器の大きさをむしろ誇るべきであって、恥ずかしがるなんてもってのほかだったな、っていう。

旦那(仮)が恥ずかしい思いしないように、とか旦那(仮)のために、とかそれらしい理由を捏ねくりまわしてたけど、結局自分が恥ずかしいと思ってただけ。相手のことちゃんと見えてなかっただけ。もっと言うと自分に自信がなかっただけ。

旦那(仮)の格好について諦めがついてる自分を大人になったんだと勘違いしてたけど、「頑張ったけど思い通りにならないし、もうどうでもいいや」ってネガティブ寄りな感情で諦めていたうちは、まだまだ大人なんかじゃなかったな。 今はポジティブに「旦那(仮)はそのままでいい」と思えるようになったし、自分がキレイになりたいってモチベーションもあがった。ま、しかしTPOは守ってもらいますけどね!

 好きな人のための自分磨きでもいいじゃん

2つめになんとなく救われた気がしたのは、 自分のお手入れに力入れるのは旦那(仮)のためっていう口実をくれたこと。

自分のために自分磨きが普通にできる人には全然ピンとこないと思うんですけど、私は、自らの自己肯定感の足りなさ故に「自分磨き」を今の今まで放棄してきたんですよ。暗い色の服を着て、地味なメイクで、目立たないように。

明るい色の服やキラキラしたメイクに、ずっと引け目を感じていました。

でも、その卑屈さが自分だけじゃなく、隣にいる愛する人まで貶めているんなら、やっぱり考え物なわけです。

自分でもめんどくせぇなぁ、こいつって思うけど、自分にお金かけたり手をかけるのをずっと躊躇ってきたんですよね。「私にそんな価値があるのか?」って自問自答がなかなか消えてくれない。女の子がキレイでいるためにお金と時間をかけて努力することは尊いと、頭ではわかっているのに、自分にはそれが許されていないような気がして(一体誰に許されていないというのか。きっと自分自身が許してないんだろうね)

それなのに、正常な自己愛のもと、キレイに手入れの行き届いた人を見ると、なんだかすごい嫉妬のような感情が心の奥の方でゆっくりと首をもたげるのです。それにまた自己嫌悪する。

自己肯定感ってのはそんな簡単に上がるもんじゃないし、上がったと思ってもすぐ落ちたりして、根本的な部分は変わらないんだけど、引用文を読むと、自分磨きする理由は別に自分のためじゃなくてもいいんじゃない?って思えてくる。

少なくとも、入り口はそこじゃなくていいんじゃない?違和感に苛まれて動けないくらいなら他人のせいにしちゃえばいい。

正常な自己愛が欠如した状態で自分磨きなんてハードルが高い。高い壁に阻まれて、死ぬまで自分を愛せないままでいるくらいなら、最初くらい「好きな人ため」にすり替えて自分磨きはじめたっていいじゃない。

超絶捻くれてて卑屈な私には、こんな口実でもなけりゃぁ、自分の身をキレイにしておくことさえ積極的にできずにいるんだから情けないなぁ。

それでも、そう思うことで、心置きなく自分磨きができるなら、もうそれでいいんじゃないか?その口実に救われたのは確かなわけですし。おすし。

それで、私がキレイにして彼の隣にいることで彼の印象も良くなるなら良いこと尽くしじゃないか。ラッキー。

しかも面白いことに、キレイにしておけば自己肯定感が上がるという現象も起こり得る。ズル賢い口実を踏み台にしてるのかもしれないけど、それでいつか「自分のため」に自分磨きできるようになれば万々歳だし。

あ、ちなみに付け加えると、旦那(仮)に対するリスペクトがあるからこそ、「彼のために」と思えるわけであって、「彼に愛されるために」自己投資するのとはちょっと違います。違う、と思う。キレイにしていなければ彼に愛されない、っていう病んでる状態ではないので安心してください(?)

 

3000字以上使って盛大にのろけただけじゃねーか、このやろう、とどっかから石が飛んできそうで怖いのでこの辺で逃げます!さいなら!